あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
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地震について
2016-04-26 Tue 21:12
4月14日の夜9時頃、僕はやよい軒で、”たっぷり野菜の肉野菜炒め定食”を食ってたんですよ。

あの小茶碗に米飯をワンモア!、ワンモア!とねじ込みながら終わらないおかわりを連続し、ごっそさんと言って店を出たのが9時20分頃。車で家路に着いたのですが、運転中急にガックンとハンドルを取られたんですね。最初は「すわ、脱輪したのか?」と驚いたのですが脱輪するような溝はなくて。とうとう僕のアタマがどうにかなったのかと思ったんですね。やたら景色がグラグラする。しかし、周りの車もゆっくり停止しようとしている。そこでようやくこれは地震だと気づいたんです。1回目の地震は後に前震であるとされたんですがその時点で知る由もなく。慌てて家族に電話したのですが通じず、幸いLINEはつながったものですから妻と姉が無事なことはわかったんですが、隣町に住む母親と連絡がとれなくて。いったん自宅に戻り部屋の状況を確認し、隣町の母親のところに向かいました。途中の道は、いつかニュースで見たどこかの国の道路のようにデコボコになってて、道路沿いの家屋が倒れているのが見えました。どうにか母親の元に着いて無事を確認し、その日は母と共に車内に泊まりました。

明けて4月15日。仕事には行きましたが職場にも被害があり、片付け等をして定時で帰りました。その日の夕食は自分で野菜炒めを作って食べまして。食しつつ”たっぷり野菜の肉野菜炒め定食”より、「野菜たっぷり肉野菜炒め定食」の方が、1回目の野菜と2回目の野菜の語の間隔が適度に開いて、逆に(逆に?)良くはないか?など、どうでもよいことを考えつつ、うつらうつらしていましたら16日未明にドカン!と本震がやってきました。経験したことのない揺れでした。「机の下に隠れろ」なんて昔よく言われましたが、実際動けないんですね。ガコンガコンと戸棚が揺れ、中のモノが床に落ちてくのを、まるで夢の中のような感覚で眺めていました。

地震直後より各所よりご支援をいただき、本当に感謝しています。阿蘇では電気の復旧のため各地の電力会社の発電車が応援に来ておられました。電柱の傍に停められた発電車の傍にはテントが張ってあります。応援に来られた電力会社の方々はどこかに宿泊するのではなく、雨の降る中、路上にテントを張って休まれているようでした。自宅の周りには香川県の消防署の方々が見回りをしておられました。ルパン三世の中でした見たことがなかった埼玉県警のパトカーの後ろを車で走ることが僕の人生であるなんて、思いもしませんでした。支援物資として頂戴したオムツは福島県の方から送っていただいたものでした。

悲しい被害を受けられた多くの方々がある中で、幸いにも僕と家族は2度の震度7を乗り越え、どうにか無事でした。これから大変ですが、こんなところでは終われません。みんなで力を合わせてがんばろうと思います。もう一度、皆々様のご支援に本当に感謝しています。ありがとうございました。

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有明海むつごろうラーメン(株式会社やまひらAK)
2013-09-23 Mon 18:11
中南米ボリビアにあるウユニ塩原は見渡す限り真っ白な岩塩で覆われているそうなんですよ。もちろん樹木なども生えていない。「360度影一つ無い真っ白な背景」なのです。その「白い背景」ってのがミソで。人間の目って、背景が真っ白だと遠近の差をうまく捉えることが出来ないらしいんですね。トリック写真を撮るのにうってつけの場所なのだそうです。

真っ白な背景

食物を食べる経験を積み重ねて来た僕ら大人は、食物を食べる前に対象の味をある程度予想するじゃないですか?ああ、カレーっぽいこれは、カレー味なんだろうねとか。イチゴの乗ったショートケーキを見て、その味を激辛だと思う人は少ないでしょうし、冷蔵庫に冷やしてあっためんつゆをコーラと間違えて飲んでしまいビックリした、なんてハナシは、冷蔵庫にコーラが冷やしてあった経験を積み重ねてきたから、予想外のめんつゆでビックリするのです。

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有明海むつごろうラーメン

あの、遠浅の海で生息するそれからダシをとった即席麺なのですが、これと相対するに僕ら大多数の大人は「味の予想が出来ない」のです。むつごろうなんて食べたことがないから、むつごろうと僕らの距離を予め測れていないんですね。

これは、まるで僕らが「塩原の真ん中に立っている」と言えなくはないでしょうか?
真っ白な塩原の真ん中にある対象について僕らは、遠近の差をうまく捉えることができない。
むつごろうラーメンと相対して僕らは、食べたことが無いむつごろうであるが故に味の予想が出来ず、むつごろうと僕らの「距離」をうまく測れない。

むつごろうラーメンのパッケージに白を背景として描かれたむつごろうのイラストは、僕らが得てきた味の経験をゼロに戻す役割を担う。それは破壊の悪魔の絵なのでしょうか?それとも、再生の天使の絵なのでしょうか?
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タッチパネルでお肉を頼むということ
2013-08-17 Sat 02:43
先日のこと。クルマで道路を走っていましたら、路傍に焼肉屋さんの看板が立っていたんです。最近オープンしたのかしら?まだ真新しいその看板にはなんとも食欲をそそる焼けた肉とともに、白い、これまた生命力溢れるポップで「タッチパネルでお肉が頼める!」と、記してあったんです。

月末の繁忙時ではあったのですが、僕は北バイパスを西原交差点方面に進めていた社用車をするするとアネモネの花咲く中央緑地帯に寄せ、まぁ僕はアネモネの花を見たことはないのですが何となくわかる時ってあるじゃないですか?ああ、これがあの花なのですね?みたいな、いわゆる奇跡が起こる瞬間ですね、まぁ実際はアネモネとは似ても似つかない変なヨダレっ花咲き乱れる緑地帯だったのですが、その見捨てられた緑地帯から対向車線にハナを突き出し転回し、些細なコトを置き去りにするようにアクセルを二度吹かせて先ほど通り過ぎた地点へ戻り、今度は舐り上げるようにその焼肉屋の看板を眺めたのですが、やはり確かに「タッチパネルでお肉が頼める!」と記してある。

「タッチパネルでお肉が頼める!」

およそ宣伝であるならば衆人の耳目を集め人を貫くモノであるべきだと思うのですが、「タッチパネルでお肉が頼める」事が、焼肉屋が己を宣伝するに力点を置くべき箇所であるとは到底思えない。何故、その焼肉屋は、タッチパネルでお肉が頼める事実をわざわざ広告を打ってまで知らしめようとしたのか?肉の量であれ質であれ、焼肉屋が誇るべき自店の誉れの第一が何故「タッチパネルでお肉が頼める!」であったのか?

久しぶりの更新でこんなコトを書きたくはないのですが、昔読んだいかがわしい雑誌にですね、ある娼婦のハナシが書いてあったんですね、娼婦。その娼婦はやたらと他の娼婦のことを褒めるそうなんですね。あそこの角の娼婦は若くて美しい、こちらの通りの娼婦もこれまた美しい。決して自分のことを良く言おうとしないらしい。そうなると人間不思議なものですね、みんなかえってその娼婦のことが気になるわけです。結果その娼婦には多くのお客が付くことになる、なんてハナシだったのですが。

僕はとっくに貫かれていたわけですね。「タッチパネルでお肉が頼める!」という、あの娼婦が採った「己を褒めないことで人を引きつける」というやり方と同じ方法で僕は身も心もその焼肉屋の虜になっていた訳です。

そして「タッチパネルでお肉が頼める!」事実は、もうひとつの意味と使命を帯びていると思うんですね。
タッチパネルでお肉を頼むことは、人間の終わりの過程を切り取ったモノ、人間の滅びの暗喩だと思うんです。

始めは自分で狩って自分で切って焼いて食ってたわけです。いつしか他人に狩って貰って切って貰って給仕して貰うようになり、今、タッチパネルで給仕の手間を減らそうとしている。次に僕らは何の手間を減らすのか?焼肉という船に乗って僕らは、一体どこを目指しているのか?

皿を省いて箸を省いて、タレを省いて、最後に僕らは「肉」を省くのだと思うんですね。僕らは焼肉において肉を食べる過程を捨ててしまう。こうして人は、生きる過程を省いて、除いて、やがて滅びてしまうのです。

僕らがやがて死に向かう事実はタッチパネルでお肉を頼む行為の先に記してあると思うのです。(ちなみにその焼肉屋さんには行ってません)
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ファブリーズクルマイージークリップ
2013-05-17 Fri 22:45

ファブリース
自動車用芳香剤の「売り文句」として選択できるイディオムはそんなに多くありません。おそらくそれは「香り」を中心として、それを修飾する形容詞や名詞等で構成されるでしょう。「華やぐ香り」であったり、「安らかな香り」であったり。翻って本製品の売り文句がなんであるのか?と問われたとして僕は「減りである」と答えるでしょう。そこに「香り」という、売り文句の構成にとっての中心は無く、廻りを回る修飾も無い。本製品は、ただ、己を減らすのみによって輝くのです。

この「ファブリーズクルマイージークリップ」は、衣類・部屋用除菌消臭剤の一大ブランドである「ファブリーズ」シリーズのクルマ向けラインアップ。車内のニオイを素早く消すことができ、エアコンの送風口に簡単に取り付けできるコンパクトな設計で・・・など、ありがちなレヴューを展開するのは易いのですが、そういった、まるで地べたを這い回っているかのような文字列を嗤うかのように超然としてこの製品は「減りがすごい」のです。

本製品は使い始めの際に、製品の背の部分に付いている送風口取付用のクリップを起こすことで中の芳香剤を包んでいるビニールが破れ、しかる後香り始めるようになっています。この、クリップをパチンと起こしてからの減りがまずすごいのです。みなさんどうでしょう?生まれてこの方、芳香剤に話し掛けたことがありますか?もし無いのであれば是非本製品を購入いただきたいのです。クルマに乗らない方も是非買って、クリップをパチンと立ち上げて欲しい。「おまえ・・・そんなに減るか?」と、僕は毎回、はからずも思わず芳香剤である本製品に話しかけてしまうのです。ちなみにこの「おまえ・・・そんなに減るか?」というセリフに僕がどのような感情を乗せているか更に説明することが許されるとして、童話「ごんぎつね」のラストシーン、兵十はごんの善意に気付かずごんを鉄砲で撃ってしまうのですが、その時兵十が呟いた「ごん、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは。」というセリフに乗せた悲しみや後悔、驚きや戸惑いの感情に近似していると思います。それくらい本製品の減りは、芳香剤に話し掛ける事実の異質さ、背徳さ、ココロを鎮めるお薬増やしておきましょうね感を中和する程にすごいのです。

使い始めのすごい減りに連なって、使いつけてからの減りもこれまたすごい。ちょっとクルマを離れた隙にゴイっと減る、公称30日は持つなどと謳ってありますが、前回僕が使っていたものは10日位しか持ちませんでした。製品の裏に香りの量を調整するリューズがあり、香りの量は全く少なくても構いませんというピコキュリーな位置にリューズを合わせてみても、まるで初めから何も入ってなかったかのようにじゅんじゅん減っていくのです。

本製品は「減りを愉しむ」ものだと思うのです。買って、クリップを立てるや否や始まるジェットコースター。僕らはそれを愉しむべきだと思うのです。
なるべく減らずに長持ちすることこそ正義とされてきた芳香剤の世界は、本製品をもって覆される。芳香剤の香りのみを愉しむ時代は本製品をもって終ったのです。

本製品は、時計の秒針未満長針以上のスピードで減っていくことで、凝縮された生を表現していると思うのですね。本製品は、従来の芳香剤がひたすら長持ちして、生き長らえることを良しとして弛緩しきった生を表現してきた忌むべき事実に対する強烈なアンチテーゼなのです。「腐っても鯛」などという諺がありますが「腐ってしまってはそれはもはや鯛ではない。」腐った、只の魚なのです。鯛であるためには鯛であるうちに無くなってしまわなくてはならない。

本製品は、減ることで、生き急ぐことで生命のなんたるかを謳い上げているのです。
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もうひとつのエヴァンゲリヲン
2013-05-13 Mon 20:54
クルマを運転される方なら、道路の真ん中で動かなくなっちゃったクルマってのを一度は見たことがあるんじゃないかと思うんですが。先日のこと、出勤途中の僕のクルマのエンジンが突然ストトンッつって止まりましてね。いつか見た迷惑な渋滞がその日は僕を以って惹起されたのです。前も後ろも荒くれ武者のような御仁に囲まれ、鳴り止まぬクラクションを朝方振り出した雷雨が窓ガラスを叩く雨音のように聞きながら僕は、あれは一種の逃避行動なのですかね?ふと、こんなことを考えたんです。

「あ、あの人どっかで見たことがある・・・!」なんてシーンは誰にでもあると思うんです。僕もそんな経験をすることがあるのですが、その、どこかで見た対象である人物が悉く「オッサン」なんですね。人に寄って対象は「少女」であったり「青年」であったりする対象が僕の場合「あっ!あのオッサン、どっかで見たことがある・・・!」となってる訳ですね。

この事実を、何故オッサンであったのかという由を冷静に紡ぎだすとして、「僕の廻りがオッサンで満ち満ちているから」とするのは少し乱暴な解釈だと思ったんですね。僕が水族館の職員だとしましょうよ。僕が、こう、イワシを餌にイルカに芸をさせるような立場の人間だったとしましょうよ。で、そんな立場にあって僕が見るデジャヴは「あ・・・!あのイルカどっかで見たイルカに似てる・・・!」なんて思うでしょうか?対象に触れる密度の濃さでそれは判じられるべきではないと思うんですね。

「オッサンのスタンダードが、僕の中で形成されようとしている」
これがオッサンだ!というユニバーサルでコズミックな基準が、僕の中で形づくられ始めているんだと思うんですね。仮にそれを、僕の中で産声をあげつつあるオッサンをアダムとしましょうよ。そのアダムを以って僕らは、例え相手が火星人であろうとも原始人であろうとも、オッサンというものを説明することができる。そんなオッサンが僕の中で実体化しつつある、アダムはどのオッサンにも似ているし、どのオッサンとも似ていない。僕はどこかで見たオッサンにアダムを重ねて既視を感じているのだと思うのです。

万雷のクラクションの中僕は更に考える。まだ幼いアダムが本当に実体化するとして、生きとし生ける全てのオッサン達は一旦、カラダやセイシンを囲う枠を無くして、どろどろになって混ざり合いオッサンより一段階高次の存在に再形成されると思うんですね。それがアダム。オッサンである全てを備えた存在。

「ああ、エヴァンゲリヲンって、確かこんなハナシだったよなぁ」なんて思ってりして
「一旦、どろどろの液体になるんだったよな」なんて考えて
「動け!動け!動いてよ!!」つって、僕の社用車は暴走しなかったわけですが。
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