あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
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そうは言ったものの、お前
2010-02-11 Thu 21:18
"そうは言ったものの、お前…"と感じるシーンってあるじゃないですか?
わかりやすい例を挙げてみるんですが。漫画"北斗の拳"に、マミヤという女性が出てくるんです。
とある村の村長だったマミヤは男顔負けに武器を操り村の平和を守っていました。そこにケンシロウ(北斗の拳の主人公)とレイ(南斗水鳥拳の使い手)が現れます。マミヤは二人を村の用心棒として雇い入れ、村を脅かす悪党に立ち向かうという話があるんですね。ケンシロウとレイが悪党の大ボス戦に赴こうとする最中、マミヤは一緒に戦いたいとレイに言うんです。「私は女であることを捨てた。私も戦う!」それを聞いたレイはマミヤの上着を切り裂きます。胸を露にされそれを隠そうとするマミヤにレイが言います。「女を捨てたのであれば胸を隠す必要は無い。お前にはこれが似合う」として絹のドレスを投げ掛けるというシーンがあるんですね。その時のマミヤの気持ちが僕が言うところの"そうは言ったものの、おめぇ…"に一番近いような気がするんですね、たぶん。すごく、わかりにくい。

"ハイハイ、女を捨てると確かにいいましたけどね、まさかそこまでとはね。まさかブリンッ!てなるなんて想定してねぇよ"という気持ちは凝縮されて"そうは言ったものの、お前…"となるんです。そんなシーンは世紀末にだけ用意されているんじゃなくって、僕らの日常にも用意されていると思うんですよね。

先日、女性とイタリア料理を食べにいくことになったんです。世の大半の男性がそうであるように僕も「イタリア料理だったらまかせとけ!」みたいな感じでさも詳しかろうと。「じゃあお店選びは僕に任せてよ!」みたいな安請け合い。返事をしたんですね。よくよく考えなくとも普段はひたすら豚足を舐っているような僕には無理っぽい展開だったんです。でも、彼らも僕らと同じ敗戦国。彼の国の料理事情なんぞつるっと2分で理解可能と感じたんですが、なんかプリモやセコンドがどうとかいわれちゃって蒙昧。「肉料理には赤ワインをセンターにおいてスイッチ・・・。肉料理には赤ワインをセンターにおいてスイッチ・・・」とつぶやきながらホント、産まれてこなければよかった。

まぁそんなこんなで。"そうは言ったものの、お前・・・"というシーンは世紀末でも、熊本県でも、張ったつもりのないそれが結果的に虚勢であったならば自動的に発生する靄のようなもんで。まぁ、どこにでもある。

妖怪ホッチキス舐りという記事を書いたんですね。この記事の一個下にあるんですが。
僕ならば、僕ならば次の記事は「妖怪ホッチキス捻り」あたりの、妖怪ホッチキス舐りを派生させた記事が書けると、自分でもそう思っていたし、昔からこんなブログを観ていただいたような、人生の中の数十分を明らかに無駄にしてきたような方々なら期待していたと思うんです。結果的な虚勢。君が願った、僕が感じた、不幸。

ホッチキス舐りは偉大な前フリ。次の記事にこそ全てがある。

僕は確かにそう発信したハズ。僕は確かに"そう言った"ハズ。
あと少しでそこには捻られたホッチキスが。誰も期待していないかもしれないがホッチキスを捻る妖怪が。

ホッチキスには未来がある。
未来のホッチキスは単に書類を綴じるものではなく、ましてや針を失くしてまで利便さに媚びるような下郎ではない。
"そうは言ってもお前"という感情が離れさせようとしたものを繋ぎ止めるんだ。
諦めない。胸を露にして、イタリヤ料理屋で結果的に一番絞りガブ飲み→メールの返事がすごくRE:であっても、二つを繋ぐんだ。
胸を露にして挫けないマミヤと、なんか和民が腐ってしまったようなプラスチックの皿で給仕をするお店で未来を失くしたポルセさん。彼らが失くしてしまいそうな未来をその針でしっかと括りつけるんだ。


出来なくて失敗したもの、繋ぎとめようとして、そうできなかったもの。
愛した二人が越えられなかった瑣末なハンディを、愛すべき彼の虚勢を、愛すべき彼女の慎ましさを。
繋ぐべき二人を、全ての"事情"を越えて、強く強く繋ぐ。

ホッチキスの未来は、"そうは言ったものの、お前"の先を繋ぐ、針で適う範疇を越えた先にあると思うんです。よくわからないんですが。
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君はもっとヤクルトでいい
2009-10-06 Tue 21:32
~画家にとって最も不幸なことは、描く対象を木枠で限らなければならないことだ~
フィンセント・ファン・ゴッホ


クルマで道路を走っていましたら警察官から路肩に誘導されまして。何だろうねと思いクルマを停めたところ丁度その日は"交通事故ゼロを目指す日"らしくって。地元の中学生達ですかね?体操服を着た蒼い彼らは道行くドライバー達に交通安全と事故防止に努めて下さいというメッセージとともにヤクルトを配ってたんです。

順番待ちして僕も女子中学生からヤクルトを頂戴したんです。
で、道すがら、ヤクルトをあおりつつ僕は考えたんですね。いつか世界に交通通事故無き日がやって来ることをみんなで願ったあの快晴の日の午後に。

一体どこからどこまでがヤクルトなのか?
まぁ、僕が考えたってのはこれなんですが。ヤクルトの範囲について。

もうね、一体全体どこからがヤクルトなのかってハナシなんですよ。
あのプラスチック容器に入れられた甘酸っぱい本体だけで"ヤクルト"なのか?本当にそれでいいのか?そう考えたんですね。

文頭ゴッホの、あの名言。というかあの名言ってのは僕がさっき便所で考え付いたヤツで、ゴッホどころか全ての画家に全く関係ないんですけど。画家にとって最も不幸なことは、描く対象を木枠で囲わなくてはならないことなんですね。どこまでも広がる世界を描きたいのに、いつかどこかで限らなければならない。絵を描く難しさはそこにあるのでしょうし、だからこそ画家は絵を描くのでしょう。

それと同じで、ヤクルトを容器に入った液体だけであるとして終らせて良いのか?
限るべき境はプラスチックの殻であるとして、それは言い様の無い不幸を内包しているんじゃないのか?僕はそう考えたんですよ。

もっと、彼女達からヤクルトでいい
体操服を着てヤクルトを持った彼女達自身から既にヤクルトはヤクルトであっていい
そう考えたんです。

もう意味の無いプラスチックの殻で世界を限るのは止めよう
ヤクルトを持った貴女はもうヤクルトだ、そして、いつか、やがて、僕もヤクルトだ
もっと君はヤクルトであってよい、そして僕もヤクルトであってよい

そんなことを考えたんです。理由なんてないですけど。
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クリムト
2009-07-06 Mon 22:38
絵であれ文字であれ、世の中は"かき過ぎなモノ"と"かか無さ過ぎのモノ"で溢れていて。

例えば手許にあるガムのパッケージにイラストが描いてあるんですが。
090706_2226~01


イラストでは生命感溢れる波状の勢いをもって液体ミントが溢れだす一瞬を捉えているんですが、実際は爺さんの岩清水程度しか入ってなくて。ミントのタレがニョロっと舌先に触れておしまいなんです。こんなに溢れだす程にヒタヒタには入ってないんですよ。実際以上に描かれ過ぎなんですね。


かたやかかれ無さ過ぎなモノといえば、そうですね、最近見たなかでは「愛媛ナンバー」ですかね。

リンク先を見ていただければいいんですが、この図案を考えた人は余程やさぐれていたんでしょう、愛媛の文字が原型を留めていない。愛の下っ側なんてもののけ姫に出てきたヤックルにしか見えない。実際よりかかれ無さ過ぎなんですよね。

昨夜は日曜美術館という番組を観たんですよ。
普段から欠かさず観てます、なんてことは勿論無くってですね。

だってそりゃあ「日曜美術館"クリムト~黄金にきらめくエロス~"」なんぞのタイトルが番組欄に踊っているのに気付いてしまったならば、人間誰しも番組開始の20:00までには風呂も飯も済ませ、清いココロと清いカラダでクリムト・オン・ステージに日曜夜という煉獄からの救済を期待してしまうじゃないですか?

出演者達がどこかよその国の言葉でクリムトの作品を紹介していくのを、天の御使いが吹くラッパの音を遠くで聴くような、何だか不思議な気分で観ていきました。「…どこらへんが黄金にきらめくエロスなのかしら?」という僕の疑問は終ぞ解消されることなく第七の天の御使いがラッパを吹き鳴らした時に(20:45頃)僕はクリムトにお前、お前しっかりしろよ!まだパンツすら脱いでないじゃないか?なんぞ罵詈雑言を浴びせていたんですよね。黄金にきらめくエロスなんぞどこへやら、最後に申し訳程度のさよなら乳首でお茶を濁して、あの僧侶は今日も馬車で二軍暮らしなんですね。ザラキばっかり唱えやがって。

僕が観た日曜美術館は「番組欄で書き過ぎ、絵的に描かなさ過ぎ」というとんでもなく醜悪なハイブリッドだったんですね。

世の中を覆う"かき過ぎ"と"かか無さ過ぎ"を排除する平衡の守護者でありたいと常々思っているんですが、なんか最近、ほとほと疲れ果ててしまったと感じるんですよね。まぁ、どうでもいいんですが。
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マリオネット
2009-05-06 Wed 12:20
僕の運命を決める役割を担うちょっと素敵なバストを備えた女神がいたとしてもその日はおそらく有給休暇。僕の運命を決めるどのようなものも存在しさえしなかったとしか思えないほど良く晴れた、何も無い月曜日のことなんですけどね。刑務所通りをクルマで走ってたんですよ。歩道を行くキッズが見えたんですね。キッズは何やら食べながら歩いていたんです。

彼はカレーを食べながら歩いていたんですよ。
弁当屋にありがちなカレーを盛ることに特化したシェイプを持つ例のあの皿をかっこみかっこみ、キッズはトコトコと刑務所通りを歩いていたんですね。

あれ?最近はそんなのが流行り?など考えつつキッズを見据えてステアリングを握る手も汗だくみたいな僕だったんですが。意外とオープンな自分、カレーを食み食み歩むキッズにすこぶる肯定的な自分を感じたんですね。モリモリ食べなっせ。腹が減って腹が減ってキッズはおそらく家まで持たないんですね。もしかしたらもう何日も食べさせてもらっていないのかもしれない。意地の悪い継母から。盗んだ金でカレーを買う。キッズはその時を生きる必要があった。たとえ歩きながらでも彼はその時食べなければならなかった。

その日は僕にとって何も無いのが幸いだったのか?はたまた不幸だったのか?キッズが食むカレーが只の素カレーだとはとても考えられなかった。いや、考えなかった。

キッズがその生命を繋ぐ為に必死に貪ったカレーは「カツカレーではならいと感じた」んですね。

彼が食み食み家路を目指したその手には、素カレーよりカレー力が遥かに高く、ドラマティックで荘厳なカツカレーでなくてはならないと感じたんですね。キッズのドラマを加速させ、僕の何も無い月曜日を補完するために、カツカレーでなくてはならなかった。

僕等は一見自由なようで実は見えない糸で括られて、操られているんだと思うんです。
その糸は期待であったり、不安であったり、思い込みであったり、愛情であったり、希望であったり。
その糸が思考に絡まり、影響する。

キッズが確実に食べていたカレーの先、カツカレーであるとは僕の希望、思い込み、願いなんですね。
目に見えない何かがキッズのカレーにカツを乗らしめた。実際はわかりませんが、あの時確かにあれはカツカレーであった。カツカレーを中心に僕の世界は回っていた。カツカレーでなくてはならなかった。

僕等の思考に絡みつく見えない糸。その糸が株の値段を決めたり、交通事故を引き起こしたり、いつまでも続く片思いを強いてみたりするんですね。

僕等はとんでもないモノに支配されているんだなと思うんですよ。きっかけがカレーってだけでイマイチ伝わらない、ていうか全部伝わらないんじゃないかとは思うんですけどね。
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スケジョ
2009-03-02 Mon 23:02
どうでしょうみなさん?
普段、助六寿司に対しどのようなスタンスで臨んでいますか?

巻き寿司といなり寿司の詰め合わせなんぞに取りあわせるスタンスなど無いのが世間様人間様の総意、なんでしょう。でもね、時々でいいからあの炭水化物のデュオにこころ配って欲しいんですね。

僕クラスの助六好きになってくると、助六との間柄は単なる栄養分と人間との関係に留まらなくって。
「助六って、もっと人気あってもいいのにな…」
といった具合で。売れないタレントを担当しているちょっとした古参マネージャー気分で彼らと相対するんですね。彼らの不人気さ加減がなんともやるせない。

なんせちょっと気を抜くと彼ら助六はコンビニの弁当棚にも並ばないんですね。世間的にキャッチーなキノコのパスタなんぞに押しやられたのか?彼ら助六は昼食として出荷されることなく今日も1kのアパルトマンでまんじりともせず。ガラ空きのスケジュール帳を眺めて僕と助六は溜め息をつくんですね。

とにかく助六寿司は美味しくて、人気がない。
なんとか助六がブレイクするきっかけを見出したいと思う今日この頃、なんですね。

なんでも最近は歴史好きな女性が増えているそうで。
"レキジョ"なんて呼ばれ方をする彼女達は、それまで小説であれゲームであれ女性があまり関心を示さなかった歴史モノに大いに興味を持ち…というハナシをニュースで聞いたんですよ。

僕は、このニュースを聞いて「…これだ!」と思ったんですね。
今まで見向きもされなかったモノが、女性から興味を持たれることにより一気に日の目を見る。

"スケジョ"
助六寿司に興味を示す女性。そんなジャンヌダルクの出現で助六寿司の世界は動き出す、そう確信したんですね。

そして

スケジョの始まり、新しい100年の始まりと同時に僕の役目が終わるのを感じたんですね。
もう、助六達に僕は必要無い。

助六寿司の巻き寿司の方に、切れ端が入っていたとしましょうよ。
巻き寿司の切れ端ってのは海苔がブヨってなってて見栄えが悪いもんで。何故か僕が買い求める助六寿司の6割以上には切れ端の野郎が入ってるんですが。僕は今までそれら巻き寿司の切れ端が

「巻き寿司一本を切り終える時に発生した見栄えの悪い部位」
だと思っていたんですね。右から順番に切っていったとして左手に残る最後の一片だと思っていた、そうとしか考えなかったんですね。


でも、スケジョなら、助六次の100年を担う女性なら
「巻き寿司の切り始めを飾る、カタチは悪いが生命力溢れる祝福された部位」
と捉えるに違いないと思うんですね。

切り終えた、終っていくための部位
切り始めの、生まれ育つための道標

誰よりも助六寿司を愛していたハズの僕は、切れ端において彼らを愛してやれなかった。
最後の最後で彼らを信じてやれなかった、最後ではなく始まりだったのに。

助六寿司をスケジョに託して
スポットライトが照らすステージにハシを置いて
僕は普通のオッサンに戻ります

でも、スケジョが助六に多くの期待を掛け過ぎて、なにやら変な巻きの具、例えばチョコレートとかパパイヤとかを芯に据えて巻きはじめたならば
"あんまり遠くに行っちゃダメだよって"僕は助六達を優しく叱りたいとも思うんですよ。
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