あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
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僕はこの不純さをもって純粋だ!
2011-11-29 Tue 23:28
長崎県にハウステンボスというテーマパークがありまして、行ってきたんですよ。光りの王国という催し中だったらしく園内のいたるところがイルミネーションで彩られていました。びっくりする程まぁ綺麗、皆さんも是非行ってみて下さい。で、園内をイゴイゴと動き回っていたところ、お化け屋敷があったんですね。ハウステンボスって基本洋風の建物が立ち並んでいるんです。そんな亜外国にありながらまさかの純和風お化け屋敷、ここは要チェックや!なんて僕が言うと思ったら大間違いでして。これは皆さんだけにこっそりお教えするんですが、僕はお化けやホラーや、そこら辺りのアレが嫌いなんですね。先日、満を持してバイオハザード4を買ってプレイしてみたんですが、1面(1面?)でもうダメなんですね。せまりくるあの序盤の素農夫の怖さときたら、もう。2面(2面?)以降のどのような困難もクリアできる自信がありません。まぁ、そんなこんなでなんとかして忌むべきお化け屋敷を回避しなくてはならないんですが、ここで「怖いから」なんぞ言い出すのは素人のやることで、プロはもっと高次な方法を選択できるんですね。以前"熊本に暮らす貧しい家庭のお子はスケートが出来ない"と記したことがあるんですが、それに似通った"熊本に暮らす貧しい家庭のお子はお化け屋敷に行ったことがない"という説を以ってブルジョワの象徴としてのお化け屋敷の有り様とその害毒を滔々と語ったんですが。「うるせぇ!行こう!」と。「オウッ!」とチョッパーばりに全角カタカナで応じ、晴れて目腐れ屋敷に入るハメになったんです。

僕らの前には、親御さんと小学校低学年位かしら?幾分怯えた様子で順番を待つお子がおりました。

あの色とりどりのイルミネーションとこの眼前のお子、そして僕。純粋で美しいのは一体どれなのかしら?
お化け屋敷の列に並ぶ僕の朧げな意識の中にそのような疑問がプイっと沸き起こりました。単純に比べられない三者を「純粋な美しさ」という物差しで計ることが出来ると仮定して、一体どれが一番なのか?こうして自室で文字に起こして改めて見てみると、なんでそんなこと考えたんだろう?と思うんですが、あの時はそれが全てだった。あるスパイが敵側に捉えられ拷問を受ける際、気を紛らわせ拷問に耐える為シェークスピアの戯曲のタイトルをひとつひとつ思い返す、なんて話をいつかどっかの小説で読んだ覚えがあるんですが、その行動に近い純粋競争無差別級決勝戦、誰からも応援されず、音も立てずに始まりました。

まずはイルミネーションの野郎です。確かにピカピカと美しいんですが、なんていうのかしら?純粋か?と問われればそれは違うと考えたんですね。いかに夜中にピカピカと光ろうとも真昼は別の電線群。常に美しくあって欲しいものです。

さて、残ったのは小学生と僕なんですが。お子も僕もお化け屋敷を恐れているとして、恐れる過程には彼我の間に決定的な差があるんですね。

お子は、お化け屋敷のお化け達を本物だと思って怖がっている
僕は、お化け屋敷のお化け達が造り物だとわかった上で怖がっている

ここなんですね。理解の深度の差とでもいいましょうか、伊達に38年も生きていません。あれは、ただの、プラスチックだ。

ノミが自分より遥かに大きい動物に飛びついて血を吸おうとするのは、勇気ある行動と言えるのか?否、それは勇気とはいえない。ノミは自分が取り付いた動物が自分より遥かに大きくて強いとは認識していないからだ。真の勇気ある行動とは、対象を知り恐怖を知りそれを乗り越えて行われるものなんだ。

ジョジョの奇妙な冒険という漫画でツェペリさんがそう言っていました。対象が何かをわかった上でそれを乗り越える行動を勇気ある行動と呼ぶ。それと同じで。お化け屋敷が全て造り物である、係りの人も時給900円のバイトなんだとわかった上で、すべてウソだと知った上でなお怖がることこそ真に純粋で美しい、そう!僕はこの不純さを持ってあのお子より純粋だ!なんて考えちゃったりして。屋敷内で2回位うぉぉ!と叫びました。素で怖くって。
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サバの水煮パスタとパパンドレウ首相、需給バランスの不一致について
2011-11-09 Wed 22:31
最近は、どこにでもある材料でごく簡単に作ることが出来る「ズボラ飯」が流行ってる、なんてハナシがテレビで流れてたんです。番組の中でイタリア料理の有名シェフが作る絶品ズボラ飯というふれこみで、あるパスタ料理が紹介されたんです。普段は殆ど料理をしないんですが、ちょっとした憧れみたいなものは抱いてたんですね。料理が出来る男なんて、モダンでかっこいいじゃないですか?僕もですね、今は出来なくってもいずれは小さなナイフみたいなヤツで丸いスイカを鶴のカタチにバンバン切り刻んでみたり、マグロを素手で真っ二つにするような男になってみたいとは常々思っていたんです。ある種の高揚感をもって、弾けろ!僕のモダンライフ!とばかりにイタリアンシェフが奏でるアルンデンテに浸ってみたんですね。

紹介されたパスタ料理は、さすがにズボラを謳うだけのことはある、簡単なものでした。
「オリーブオイルをひいたフライパンでホールトマトの缶詰とサバの水煮(缶詰)を煮込み、塩で味を整え、いい感じになったらパスタに乗っけて出来上がり」
という具合で。これなら僕にも出来そうです。で、早速作ってみたんですが。あまり美味しくないんですね。皆さんも試しに作ってみて欲しいんですが、何かひと味、足らないと思うんです。(ちなみにサバの"水煮"じゃないとダメらしい。シェフがいってたんですが、サバの味煮やましてサンマやらでは美味しくない、サバの水煮がベストなんだそうです)

しょうがなくズボラパスタの上に食べるラー油をたんまりぶり掛けて舐っていたところ、ニュース番組が始まって、ギリシャ首相が辞めるの辞めないのなんぞが報道されたんです。ギリシャの首相の名前は、最近は皆さんもよく聞かれることも多いと思うんですが「パパンドレウ首相」。その名前を見るにつけ、僕は、パパンドレウ首相に対して誠に失礼なハナシなんですが、「ひと文字多いな」と思っていたんですよ。パでもンでもレでもドでも、どれかひと文字は無くっていいぞとおもっていたんですね。「パンドレウ、パパドレウ、パパンレウ…」どうにかなんとかなりそうです。

需給バランスの不一致

通貨であれ、モノやサービスであれ労働市場であれ、果ては結婚を目指す男女まで。とかくこの世の不幸はこのバランスが崩れること、一致しなくなる事に起因するもんだと思うんですね。で、僕は、現代、そしてこれからの人間社会でこの需給バランスの不一致が解決することは、実はもう無いと考えているんです。

高度に成長した人間社会の需要と供給の関係を成立させることは、サバの水煮パスタソースに足りないひと味をパパンドレウ首相の名前に多いひと文字で補おうとするようなものだ。何を言っているのか?わからないと思うんですが、それ位僕らの需要と彼らの供給はかけ離れてしまっていると思うんですね。

現代において、そしてこれからの未来において需要と供給、欲しいものと与えるものを合致させる作業は、あまり美味しくないパスタに文字をひとつ垂らして美味しくしようとするような、決して解けないパズルを解くように残酷なもんなんだろうと思い至り、僕は泣きそうになったんですよね。サバの水煮の缶詰もトマトの缶詰も、あと3缶ずつあります。


"晩秋の 缶の残りの サバ旨し"
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