あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
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とまちー
2012-10-23 Tue 21:28
最近はここ熊本でも朝晩肌寒くなって、コンビニでは肉まんやおでんがちらほら並ぶようになりました。あたたかい食物が本格的に恋しくなる季節まであと少しです。先日立ち寄ったセブンイレブンではもう肉まんが暖められていたんですね。で、あの例のガラス容器の中にちょっと見慣れない名前のまんを見つけたんですね。「とまちー」と名づけられていた黄色い彼らはあの例のメリーゴーラウンドの中で出番を待つ幕下力士のようにソリッドな、それでいて詩人のような佇まいで少し悲しげに僕を見つめているようでありました。

ネット上でいわゆる「文系」を煽る言葉に「文系は一生、作者の気持ちでも考えてろよw」というヤツがあるらしくって。成る程よくできた煽り文句だと思ったんです。そんなテストがありましたね。かく言う僕も、皆さんうっすら気付いているとは思うんですが文系なんですね。そが証拠には、そうですね、これは僕がちょっと驚いたことなんですが、鮭って白身魚らしいんですね。赤いのに白身魚とはこれいかに?その事実とその納得のいかなさは僕が昔、どうしても理解出来なかった1÷3=0.333…=1/3という算数の基本と同様の、厳然たる事実と納得のいかなさと同じであると感じたんですね。無限に連続するであろう小数が、1/3というちょっとした文字数だけで表現されることに理屈以上の違和感を感じると同時に、鮭の赤身の白さは1÷3=0.333・・・=1/3という式で表現はされているんだという文系の、腐れた平和の上に僕はあぐらをかいて、まぁ、わかりにくいとは思うんですが、鮭は白身魚で僕は文系なわけです。

文系であることを別に卑下する必要は無い、むしろ、ごちそうだと思うんですね。彼ら理系が聞き取れないレンジの音声を僕ら文系は感じ取って、1+1=2で補完されない世界に意味と彩を与える必要がある。文系のレゾンデトールは理系の取説には書いてない。

で、とまちーです。
僕はコンビニであの幕下力士を見てここが文系の踏ん張りどころ、「とまちーと名付けた作者の気持ちを考えなけらばならない」と思ったんですね。やってやろうじゃねぇかと。

まず「何故ひらがななのか」そこに着目したんです。
今更、実に今更なんですがとまちーは、まんの種類で言うとピザまんだったんですよ。とまちーの名の由来としては「トマトとチーズ」なんでしょうが、トマチーじゃなくってとまちー。平仮名で表示することで文体の緊張を和らげたんですね。どうでしょうみなさん?「アバレハチマン」と「あばれはちまん」だったら、どっちをなでなでしたいでしょうか?皆さんおそらく後者を選択すると思うんですよね。前者のそれは、浴室の黒カビを除く薬剤のような感じがしてきっとみなさんから愛されない。平仮名で表現することにより作者はとまちーが多くの人々に愛されることを願ったんですね。

次に「何故4文字なのか?」考えたんですね。
"太陽の光りをたっぷり浴びた旬のイタリアントマトとチェダーミックス・チーズが奇跡のマリアージュ!悶絶昏倒四川風ピザまんに和辛子を添えて"あたりの、盛り過ぎてわけのわからなくなった説明臭いネーミングでも良かったはずです。そこを何故「とまちー」というごく短いセンテンスで済ませたのか?「呼び易くする為」だと思うんですね。これはニュースサイトの記事で知ったんですが、ソバの花ってあるじゃないですか?あれって物凄く臭いらしいんですよね。ウンコみたいな臭いがするらしい。ソバは受粉し辛い植物らしくって、虫達をできるだけ多く呼び寄せて受粉の手助けをしてもらう必要がある。強烈な臭いを放つのはなりふり構わず虫達を多く呼び寄せるためらしいんです。それと同じで、「とまちー」と短くまとめることで多くの人に呼んで欲しいと願ったからだと思うんです。

「皆に愛され、多く呼ばれることを願ってとまちーと名付けた」
これは単に「売り上げ至上主義」に基づくものなのか?

とまちーは、壊れて散り散りになった僕ら人間の欠片ではないのだろうか?僕らは補完する為にあのピザまんを呼んで、手にとって愛する必要があるのではないのか?作者は、僕らが失ってしまっていることに気付いていて、とまちーをもって再び組み直す事を願った。あのトマトとチーズ、まるで壊れたココロがシーツに包まれたかのような黄色くて温いとまちーは、僕らが日々擦り減らしていった僕らの欠片、あるいは投影された僕ら自身なのかもしれない、作者の気持ちはおそらそんなところだろう、なんて考えたんですよね。(ちなみにその時はあんまんを買ったので、とまちーは買ってないです)
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錆汁
2012-10-07 Sun 15:00
前にもこんなハナシを書いたんですが、僕の趣味はジョギングだったりするんですよ。トボトボ走るんですが、走るのがそんなに嫌いではないんです。でも、これは最近気付いたんですが、走るのが嫌いじゃないという事実に理由があるとしてそれは「いい汗かいて爽快だから」などの晴れ渡るポジティヴな理由ではなくって。「走ってる間だけは嫌な事を忘れられる」という、ちょっとネガティブな、廃屋の便槽のような理由なんです。日毎夜毎に僕を苛む事象から逃れられるのは走ってる間だけ、なんですね。ほら、昔のホラー映画で「バタリアン」ってあったじゃないですか?バタリアンというゾンビ達は人間を襲ってはパクパクと、襲った相手の脳みそを食べるんですね。作中あるバタリアンが、主人公の"何故脳みそを食べるのか?"という問いに「脳みそを食ってる間だけはゾンビになった痛みを和らげることが出来る」と答えるシーンがあったんですね。「ああ、俺が走るってのはつまり、バタリアンが脳みそを食ってるみたいなもんなんだろう?」と、熊本県の氷川町にある、梨畑を縫うように続く山道で僕は独り呟いた。今年も「氷川町梨マラソン」というチャンピオンシップに参加してきました。

昨年もそうだったんですが、走ってる間ってヒマなんですよね。ヒマなくせにきついもんだから、ココロ漫ろにいろんなコトを考える、今年は氷川町に入るまでの3号線の道中にあった、とあるリストランテの「豚汁定食」の文言に漂着したんです。

僕はトラックの販売なんぞを生業としていて。トラックって、ちゃんと整備しないとクルマからタイヤが外れちゃうんですよね。ものによってはタイヤ一本で100kg位あります。もし人に当たったら単なる事故では済まないんですね。ユーザーの方々が日常的にタイヤ周りを点検してくれるように啓発する資料はたくさん発行されてるんです。資料ではタイヤが外れるような事故の兆候をいくつか例示して説明してるんです。ホイールと車軸を固定しているボルトが劣化すると錆を含んだ水分がボルト周りから流れた跡がつくことがあるんですが、その水のことを資料では「錆汁」と表現するんですよね。僕はこの「錆汁」という言葉がすごく嫌いなんですよ。
錆汁


世界はここまで、掌に収まる小さな機械は世界中との通信を可能にするように、遠く離れた小惑星に向けて観測機を飛ばして着陸させ、再び帰還させるようなレベルまで発展したんですが。そんな高次な世界にありながら「錆汁」という字面の工夫の無さ、思慮の無さ、華の無さ。自動車業界にも一般的に知られたABSや、EBSやESCやらのちょっとしたテクニカルタームは山ほどあるんです。そんな体制を持していながらなぜ、ホイールボルトから流れるお水が「錆汁」風情で終っているのか?SBJRとかじゃダメだったのか?豚汁なら許せるのにこと錆汁となると、僕はちょっと許せないんですね。

でも、僕の「錆汁」に対する圧倒的な不快感を表現するのって、なかなか難しいんですね。僕がどんなに錆汁という言葉を嫌っているのか?どれほど説明しても、きっと相手に伝えきることは出来ないと思うんです。

そこには、表現の超えることができない壁がある
僕にとってはそれは「錆汁に対する嫌悪感」なんですが。こういうのって、誰でもあるんじゃないかと思うんですね。人によっては「若葉の青さが嫌い」なんてのもあるでしょうし、人によっては「ゴキブリの背中の艶が大好き」なんてのもあるでしょう。ちょっと他人に説明できない嗜好を説明するのってどこまでいっても不可能だと思うんです。

表現の超えられない壁を超える為の、僕らは普遍的な単位を得る必要があると思うんです。
僕は錆汁という言葉が嫌いなんですが、どれ位嫌いなのか?単位で表示することが可能であれば「ああ、そん位嫌いなんだ」と一瞬で表現できると思うんですね。

誰もが知っていて、そこに民族や宗教や貧富、人間が決めたどのような「線」に縛られない、唯一普遍の単位

梨でいいと思うんですね

「僕は錆汁という言葉が嫌いです。梨5個分嫌いです。」とすればほら、こんなにわかりやすい。ちなみに梨は最大5個まで。「若葉の青さが梨3個分嫌い」「ゴキブリの背中の艶が梨2個分好き」という使い方をします。

そんなコトを考えながら梨畑の山道はどこまでも続くようで。梨マラソンって登り道ばっかでつらいんですよね。つらさ梨4個分。
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