あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | top↑
もうひとつのエヴァンゲリヲン
2013-05-13 Mon 20:54
クルマを運転される方なら、道路の真ん中で動かなくなっちゃったクルマってのを一度は見たことがあるんじゃないかと思うんですが。先日のこと、出勤途中の僕のクルマのエンジンが突然ストトンッつって止まりましてね。いつか見た迷惑な渋滞がその日は僕を以って惹起されたのです。前も後ろも荒くれ武者のような御仁に囲まれ、鳴り止まぬクラクションを朝方振り出した雷雨が窓ガラスを叩く雨音のように聞きながら僕は、あれは一種の逃避行動なのですかね?ふと、こんなことを考えたんです。

「あ、あの人どっかで見たことがある・・・!」なんてシーンは誰にでもあると思うんです。僕もそんな経験をすることがあるのですが、その、どこかで見た対象である人物が悉く「オッサン」なんですね。人に寄って対象は「少女」であったり「青年」であったりする対象が僕の場合「あっ!あのオッサン、どっかで見たことがある・・・!」となってる訳ですね。

この事実を、何故オッサンであったのかという由を冷静に紡ぎだすとして、「僕の廻りがオッサンで満ち満ちているから」とするのは少し乱暴な解釈だと思ったんですね。僕が水族館の職員だとしましょうよ。僕が、こう、イワシを餌にイルカに芸をさせるような立場の人間だったとしましょうよ。で、そんな立場にあって僕が見るデジャヴは「あ・・・!あのイルカどっかで見たイルカに似てる・・・!」なんて思うでしょうか?対象に触れる密度の濃さでそれは判じられるべきではないと思うんですね。

「オッサンのスタンダードが、僕の中で形成されようとしている」
これがオッサンだ!というユニバーサルでコズミックな基準が、僕の中で形づくられ始めているんだと思うんですね。仮にそれを、僕の中で産声をあげつつあるオッサンをアダムとしましょうよ。そのアダムを以って僕らは、例え相手が火星人であろうとも原始人であろうとも、オッサンというものを説明することができる。そんなオッサンが僕の中で実体化しつつある、アダムはどのオッサンにも似ているし、どのオッサンとも似ていない。僕はどこかで見たオッサンにアダムを重ねて既視を感じているのだと思うのです。

万雷のクラクションの中僕は更に考える。まだ幼いアダムが本当に実体化するとして、生きとし生ける全てのオッサン達は一旦、カラダやセイシンを囲う枠を無くして、どろどろになって混ざり合いオッサンより一段階高次の存在に再形成されると思うんですね。それがアダム。オッサンである全てを備えた存在。

「ああ、エヴァンゲリヲンって、確かこんなハナシだったよなぁ」なんて思ってりして
「一旦、どろどろの液体になるんだったよな」なんて考えて
「動け!動け!動いてよ!!」つって、僕の社用車は暴走しなかったわけですが。
スポンサーサイト
別窓 | 無駄話 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<ファブリーズクルマイージークリップ | あばれはちまん | EVERYTHING IN ITS RIGHT PLACE Ⅵ>>
この記事のコメント
コメントの投稿














管理者だけに閲覧

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| あばれはちまん |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。