あばれはちまん 奇蹟なんてどこにでもあるのに
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EVERYTHING IN ITS RIGHT PLACE Ⅵ
2013-04-18 Thu 21:04
僕がそのクリーニング屋をよく利用する理由は単に業務上の都合からもたらされるものではもちろんなく。僕はその店の会員になっているのですが、会員カードを持ってクリーニングを出しに来る事はまず無いんですね。僕と店員さんはとうの昔に顔見知りな訳ですが、いざ会員カードを持たずにクリーニングを出そうとすると、それまで柔和な笑顔を湛えていた店員さんは夜叉のような表情に変じ僕に携帯電話の番号を尋ねる。電話番号で会員№を検索出来る仕組みのようなのですが、その、絶妙な距離感というのかしら?カウンターを隔てて僕と店員さんの間には、カウンターの長さ以上の距離があるという峻厳な事実を、結局人間最後は独りなんだという荘厳な事実をいつでも、会員カードを持たないで来る事で確かめることができる、これは言うなれば死の疑似体験でしょうし。また、そのクリーニング店のレジスターは出した衣類の種類を表示する電子小窓がついているのですが、そのレジスターの衣類に対する無関心さときたらもう、ビヨンド・ディスクリプションな訳です。一着何十万もするスーツを出しても、まぁそんなスーツ持ってないんですが、一着9,800円のスーツを出しても、まぁそんなスーツは2着、否、4着は持ってるんですが、あの小窓にヘコッと表示される文言は「スーツ」なんですね。「高級スーツ」でもなく「ジャスコの吊り下げ」でもなく、ただの「スーツ」。あの無関心な小窓の表示は人が作った一切の「差」を無効化する自然の営みの象徴であり、いつか人間が神を造るとしたら、おそらくあのレジスターのようにフラットで抑揚の無いアルゴリズムを実装すると思うんです。

そんなこんなで先日、そのクリーニング店にクリーニングを出しに行ったんです。スーツを一着持っていきまして羅刹のような顔をした店員さんに電話番号を告げ、スーツのポッケにレシートやら何やら入ってないか?イゴイゴとまさぐり確認していましたら、「ハンカチ」が出て来たんですね。使ったヤツをそのまんまポケットに入れっ放しにしてたのでしょう。煮しめ然としてくるくるってなって寂しげ、所在無げな彼女は行き場を失くして泣きながら僕を見上げているようでした。

僕らは何故、今日使ったハンカチをスーツのポケットに入れっ放しにしてしまうのか?
僕らは何故、今日使ったハンカチを洗濯機に放ってリセットすることが出来ないのか?

陸上競技で全力を出し切った選手たちは、ゴールするやグラウンドに倒れこむ。力尽きた彼らは美しく、観る者に感動を与えるでしょう。
かたや僕らのような平凡な社会人達は、力尽きて倒れたその場所はゴールだったのかどうかもわからず、今日を綺麗に終れないでいる。

僕は、彼女達使われたハンカチはつまり、僕等自身の投影だと思うんですね。今日をうまく終れなかった僕等自身。何も成せなくて疲れきった僕等そのものだと思うんですね。

使われてスーツのポケットの中という安いベッドに倒れ込む、スポーツ選手のように美しくはないでしょうけど、美しくないだけなんですね。戦って戦って、突っ伏して、丸まって、臭くなって、美しくないけど、ただ、美しくないだけ

すべてを正しい場所へ

あの、使われっ放しで丸まったハンカチがあるべき正しい場所は、現代の戦乙女達が還るべきヴァルハラは、スーツのポケットの中だと思うんですね。
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re-connect
2013-03-13 Wed 22:14
以前、近所にある温泉のサウナでオッサンさん達からさんざん辱められたってハナシをしたと思うんですが、性懲りも無くまた行ってきたんですね、あの魔窟に。日曜夕方のあのメロウな時間に魔窟備え付けのテレビで大喜利を眺め、木久扇演じる片岡千恵蔵のモノマネで堪え切れず笑う僕は廻りを取り囲むオッサン達に極太のお注射を・・・ってのが前回のハナシなんですが、今回はちと違ってまして。サウナのドアをパカリと開ければそこに、わざわざその時間帯を狙って行った訳です、笑点が流れてると思うじゃないですか?でも、テレビで流れてたのが「マギ」ていうアニメだったんですよね。サウナ側まさかのミス・チョイス。ターバンを巻いたキッズ達が妖怪と戦うアニメをサウナで汗だくのオッサン達が総勢で眺めてるってのは、壮観なんですね、壮観。ジョジョの奇妙な冒険の、あれは何部になるのかな?ワムウとジョセフが戦うくだりでワムウを破ったジョセフがワムウに対して採った行動は「敬礼」だったんですね、敬礼。汗だく列島のオッサン達を俯瞰し、なぜかそのことを思い出したんです。あの魔窟で汗だく、まんじりともせず「マギ」を眺めるオッサン達に僕は敬礼をしなけらばならない、そう感じたんです。

近くにあるホームセンターに行ったんですね。人は、当初から明確な目的をもってホームセンターに行くべきではないと僕は思っているんです。目的は着いた後からやって来る。ホームセンターってのは、そうですね、店内を端から端までねぶり上げるように見て回り、例えばそこのホームセンター一帯でゾンビが発生したら?何を武器にして戦う?などと自問し、脳内でヒロイックファンタジーを巡らせながらああ、そう言えばあそこの電球が切れかかっていたなどと思い出し、電球一個を買って帰るような、多次多元的な愉しみの受け皿であるべきだと思うんです。まぁ、先日40歳にもなったような人間の書くべきハナシではないんですが。で、そんなこんなで店内を回っていましたら、天使のオブジェというヤツが陳列してあるのを発見したんですね。でも、そのオブジェってのが、ちょっと写真を見て欲しいんですが。

angel with carp
鯉を担いでるんですね。鯉。
ここで天使が担ぐべきなのは、例えば「水瓶」とか「花束」とか、そんな感じのヤツじゃないかと思ったんですね。でも、そのホムセンの片隅でちんまり売られていた天使が担いでいたのはまさかの淡水魚だったのです。

サウネで「マギ」を眺めていた汗だくのオッサン達と、鯉を担いだ天使のオブジェは、同じ意味を持つんだと思うんですね。交わることの無い直線を進んでいた2つの事象は、場末のサウナで、萎びたホームセンターで交わったのです。

平和を成さしめるのは対話であり、交流であり、相互理解であり、「   」であり・・・。カギカッコの中には似たような、もっともらしい言葉がいくらでも入っていくのでしょう。それ程に、書き込む言葉に困らないほどに平和になる為の方策はやり尽くされて、それでも平和な世界など成就できそうな気配も無いのは、僕らはとんでもない勘違いをしているからだといえないでしょうか?権力者同士が握手しながらナイフを突きつけあうのではなくもっと、繋がるハズがない、誰も予想だにしない、それが無理なのかどうかさえも判然としない二者が交わって初めて、人々は安寧の道へ一歩近づくのだと言えないでしょうか?

僕らは、繋がれて絡まった家電のコードを繋ぎ直すように、一度全部外してみて、また繋ぎ直してみる必要がある、そんなことを考えるんです。
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コトバ、オドル(ヤキニクトヘイワ)
2013-02-24 Sun 18:26
"焼肉の 責の重さを 思い知る"

ものすごい田舎にある焼肉屋に掲げてあった「焼肉を通じて世界平和を達成したい」という宣伝文句を見て思いついたもの。

「焼肉を通じて世界平和に"貢献"したい」ではなくて、「焼肉を通じて世界平和を"達成"したい」のである。世界平和の為のささやかな一助ではなく、焼肉は店主によって今、世界平和達成の為の重要な鍵へと進化したのである。

人はただ安穏として焼肉を食べていていいのか?薫り立つタンの向うで店主は僕らに何を求めるのだろう?
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コトバ、オドル(ヨーグルトセンキ)
2013-02-01 Fri 21:27
"この乳酸菌は、腸に届くために死ななければならなかった"

3パック100円程度の安いヨーグルトを食べている時に思いついたもの。よくヨーグルトを摂るのだが、多くの容器には「生きて腸まで届く」ことが謳い文句として記してある。だが、僕が食べていた安ヨーグルトにはその謳い文句が記してない。ヨーグルト内の乳酸菌事情には疎いのだが「このヨーグルトの中の乳酸菌は死んで腸まで届きます」とは流石に書き辛かろう。だが、もしもその死を帯びたマイナーヨーグルト達が、生命渦巻くメジャーヨーグルト達に乾坤一擲の大勝負を挑まなくてはならなくなったとしたら?僕は彼らマイナーヨーグルトの容器にどんな言葉を記してあげることが出来るのだろうか?
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魚座の終わりとカップヌードルおにぎり、経る必要がある過程について
2013-01-02 Wed 20:49
「入」って漢字と「人」って漢字は、PCで打つ分には間違えないんですが、手で書いてみると「あれ?どっちがどっちだったけ?」となるのは、僕だけなんですかね?日毎にデスクで淀み無く「人間風車」としたためる彼女、夜毎便箋に恋々と「入艶式」と綴る彼。うまく、間違えることなく書けているのかしら?

漢字が書けなくなるのはPCを使う機会が増えたから、なんてハナシをよく聞くんですが、僕の場合の「入」と「人」はそんなぽっと出の交際2週間なんかじゃなくって。あの、魚座の終わりあたりからの仇敵なんですね。「入」と「人」を学んだあたりからとんと間違え続けている。

もちろん僕も、なすすべなく「入」と「人」を間違え続けている訳ではなくて。彼らを間違えることなく記す為のちゃんとした解決法を持っているのです。その解決方法ってのは"「疑」という漢字をアタマの中で書く"というものなんですが。

僕は「疑」という漢字を「ヒヤマフトヒト」という人名として覚えているんです。まぁ語呂は悪いんですが、檜山太人(36)。
僕は疑という字を"左上に「ヒ」、左下に「矢(ヤ)」、右上に「マ」、マのすぐ下に「フ」、フの真下に「ト」、トのすぐ下に「人(ヒト)」という具合に覚えているんです。この覚えの順序において僕は「人」という漢字を正しく書くことが出きるんですね。「ト」の下に「入」って書き辛いものなんですよ。

だらだらとこんなハナシを続けて恐縮で、もういっそのこと人間風車、人間風車サルマン・ハシミコフの件あたりから読んで頂かなくて結構なんですがとにかく僕は「入」や「人」という漢字を書く場合「一度アタマの中で"疑"という漢字を書いてみて、ヒヤマフトヒトという過程を経て、どっちがどっちか判断している」んです。こんなんですから今日も僕は「納入業者」と書くにあたって砂時計をクルクル回しながらnow-loading・・・、書くのに手間取りまくってるのです。

僕が担当する顧客に食料品の卸売り業者さんがあるんですね。冷凍食品などをスーパー等に卸す業者さんなんですが、そのお客さんを訪問した際、「カップヌードルおにぎり」という商品についての販促資料があったんですね。その販促資料を、お客さんの机上から無言でヌルリと掴み取り「・・・カップヌードルおにぎり」と呟いて僕は"なにか、ひと手間多いな"と思ったんです。なぜ、一度カップヌードルの過程を経てそれからおにぎりにしなければいけなかったのか?別の商品名で一直線に"おにぎり"にしなかったのは、何故なのか?

「経なければならない過程」なんですよね。
カップヌードルという人気商品がおにぎりになった、というのがそのおにぎりの大きな売りな訳です。一度カップヌードルという過程を、実は抜きにして名は経る必要がある。それでこそ売れる商品になる、ただ単に「おいしいおにぎり」だったら逆に売れるのに時間が掛かるのです。

僕が「納入業者」という文言を記す時に頭の中で「疑」という字を一旦書くように、カップヌードルおにぎりが一旦カップヌードルという過程を名目上通るコトのように。この世には「経なければならない過程」というモノが少なからず存在すると思うんです。時間を数直線で描くことが出来たとして、その数直線上には非合理な迂回の経路が組み込まれている、その数直線は合理的な最短距離であるべきなのに、何故か曲がったり、うねったり、クルリと一回転したりしている、僕らは少なからず経なければならない過程を経る必要がある。

今年は僕にとって、皆さんにとってどんな年になるでしょう?
うまくいくよ、希望の多い年になるよと言ってくれる人は多いでしょうから、僕からはうまくいかなかった時の為の無駄話。

"その失敗や、挫折、悲しみや苦しみ、非合理や矛盾、自己嫌悪にねたみや謗り、僕らはそれを「経る必要がある"
経なけらばならなかった理由は辛い過程の先に書いてある、そう考えてやっていきましょう。あけましておめでとうございます。
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